norimaki戸塚のお話

俣野~下飯田散策

2024年8月11日の夕方、俣野公園~下飯田方面を散策してきました。norimakiが深谷町に在住していた1980~1990年代前半頃には、ちょこちょこ来ていたエリアですので、そのころのことを思い出しながらその様子を書いていきます。文中に出てくる『当時』とい表現は、その1980~1990年代前半頃のことを指します。

mati 散策のスタート地点は俣野公園のバス停。当時はドリームランドも健在でしたので、バス停の名称も「ドリームランド」でした。バス停は道路沿いにポールが並んでいるだけのものでしたが、今は立派なロータリーに変わっています。

mati バス停の前の道を進んでいき、信号のある交差点を右折しますとそこは旭マートというスーパーがあります。ドリームハイツ内の商店街、といった感じのところですが、すっかり静まり返っていました(お盆休みの休日だから、ということもあるのでしょうが)。norimaki家では食品と、後は中学の上履きを買っていたような気がします。旭マートの先、深園幼稚園があったところは広い駐車場を備えたスーパーマーケットやドラッグストアになっていました。先程の旭マートと違い、こちらの方は多くの人でにぎわっているようでした。

mati そして、そこから少し進むと深谷台小学校。norimakiが小学5年か6年の頃、合同の球技大会があって来たような気がします。当時はnorimaki母校の深谷小学校よりも児童数が多かったと思うのですが、数年前に俣野小と統合された(深谷台の校舎を使っているので見た目の雰囲気に変わりはないですが)のは驚きでした。当時、深谷台小の先には生協があり、親が会員だったこともあり買い物に来ていた(和泉町にも生協がありますので、こちらの店のことをnorimaki家では「深谷生協」と呼んでいました)のですが、今は佐川の営業所になっていました。

mati mati 今度はハイツの北半分、集会所のところからハイツ内の道を先を進みます。この辺りには道の両脇に公園が多いこともあり、中学の友人は「公園通り」と名付けていたのですが、今もその公園自体はあるものの、遊んでいる子供の姿は見られず、時折高齢者が座って休んでいるのを見かけるだけでした。

mati mati ドリームハイツのバス停の雰囲気は当時と変わっていませんね。そのバス停の脇にハイツ内の地図がありました。先程歩いてきた公園通りは11・12号棟、14・15号棟、19・20号棟の間の通りです(公園のことは「プレイロッド」と書かれています)。

mati mati ハイツから先は、下飯田方面へと下る道を進みます。今は環状4号線ができて、車がビュンビュン行きかっていますが、今回進むのはその道ではなく、その西側の細い道です(天王森公園の辺り)。こちらの道には、まだ畑や林が残っていたりして当時の雰囲気が残っていました。

mati mati 坂の途中にはお地蔵さん。当時、norimakiは深谷町からサイクリングロード方面まで自転車でよく遊びに来ていたのですが、道中この坂が一番の難所でした(行きはよいよい帰りは怖い、みたいな)。そんなこともあり、勝手に「地蔵坂」という名前を付けていました。坂を下ると

mati 坂を下るとそこは一面の田んぼ、その先に小さく見えるのは六会ハイツ。この雰囲気は当時と変わっていません。この辺りに牛舎があった記憶があるので探してみたのですが見つかりませんでした。30年もの時間が経っているのでそりゃそうか、という感じです。ここから和泉川を越え、元木バス停まで進み、さらに最近ソラトスができて大賑わいの下飯田駅まで歩いて帰ってきました。


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2024年8月12日作成