2024年1月7日の夕方、norimakiが1981年から1999年まで住んでいた深谷町界隈を散策してきたので、その当時(1980年代)のことを思い出しながらその様子を書いてみたい(上の写真は富士見商店街入り口の風景)。
戸塚からのバスを二軒家で降りて、そこから富士見商店街の入り口までやってきた。その四つ角には、当時精肉店、園芸店、そしてつくしという名前のそば屋があったと思うのだがすべてなくなっていた。そこから南に商店街(と呼ばれていたところ)を歩いてみる。その先には、ヒロマルチェーン(もっと前は越野商店)という店があって、norimakiが小学生のころには夏によくアイスを買いにきていた。当時のアイスはだいたい50円と100円の2種類のラインナップで、100円のアイスは少し高級なもの、そして当時御用達だったガリガリ君は50円のカテゴリーに属していた。ガリガリ君は、値上がりしたものの今も健在だが、ヒロマルチェーンはすでに閉店していた。
ヒロマルチェーンの斜め向かいくらいには、中華料理黄河があって、ごくたまに(たぶん大掃除の時か来客が来た時だったと思う)カツ丼の出前を取ったことがあったのだが、この店もなくなっていた。近くにすぎやまという名前の文房具店があって、お爺ちゃんの店主が切り盛りしていたのだが、当然のことながらここも閉店している。さらに、その先には「仁藤豆腐店」というところがあって、夕方になると「♪パァ~フゥ~」というラッパのような音を奏でながら移動販売が巡ってきていたのだが、そのあたりは駐車場になっており、その音とともにnormkaiの耳奥に思い出として残っているばかりである。
ここまで歩いてみて、残念ながらもう商店街と呼べるようなものは何も残っておらず、ほとんどが住宅地か駐車場に代わってしまっていることに気づく。また、当時の商店街の中にはくりはら、信州堂という2軒の菓子店があって、どちっちがどっちかは忘れてしまったのだが、小学校の創立記念日に紅白饅頭が届けられたり、これは小学5~6年の頃だと思うのだが、当たり付きの10円飴を買った記憶だけが残っているが店のほうはどちらも残っていない。
かろうじて営業していそうだったのはメグミルクの販売店くらいで、小島歯科があったところまで来て引き返すことにした。norimakiが小学生のころ、富士見商店街の店を調べてみましょう、という社会の授業の課題があったと思うのだが、今はできそうもない。そもそも、そういう課題が今でもあるのかは知らないが、当時は買い物をするとスタンプをもらえて、それを集めると何とか、みたいなものもあったくらいに賑わっていた気がするのだが…
今度は富士見と反対側、東山の中心道路の方を見てみたい。こちらには当時金子文具という、小さな文房具店があり、でもnorimakiの自宅には一番近かったので学校で使うノート等を買いに来ていたのだがここも店は残っていなかった。その一本先の角には篠崎商店という酒屋があって、夏の暑い日に父のビールを買いに来ていた(当時は子供でもビールが買えた時代だった)り、たまにお駄賃でペットボトルのオンレジジュースを買ってもらったりしたのだが今は駐車場。カネサキ電気だけ辛うじて営業しているようだった。
途中、地区の夏祭り会場となっていたちびっこ広場という空き地があったところに建ったいづみマンションは今も健在だったことを確認する。そこから深谷小学校に向かって細い農道を歩く。校歌にも「丹沢を仰いで通う畑の道」とうたわれているところだ。当時はほぼ一面畑だったのだが、今はその半分くらいが果樹園になっている。どうやら栗の木のようだが、ずいぶんと高く成長しているのが印象的だった。
その深谷小学校の前まで来ると、norimakiの卒業アルバムのクラス集合写真を撮影した正門の様子は変わっていなかった。正門の前にも文房具店があって、ここは当時から開いていたり閉まっていたり神出鬼没な感じだったが、今は完全に没のほうのようだった。
すっかり日も暮れてきたので二軒家のバス停に戻ることにした。学校からバス停までの間にあった二軒家商店街も富士見商店街同様、当時知っていた店はほとんどなくなっている。買い物をしに来ていたのは松井文具(小学生の買い物なので、文房具店のことはよく覚えているのだ)くらいなのだが、それもなく、緑のおばさんの詰め所や、その向かいにあったかなり古めのアパート(確か、希望荘という名前だった)の場所は更地になっていた。近くには雑木林もあり、虫取りにきた記憶があるのだがその場所は畑に代わっていた。唯一、栄ちゃんという名前の居酒屋のところだけ赤い提灯がともっており、炭火焼きの香りが漂っていた。
norimakiの思い出の頃からは、すでに40年という月日が経っているので、変化するのは当然だと思うのだがその変化は思った以上のような気もする。個人営業の店はほとんどなくなり、二軒家バス停そばのコンビニだけが煌々と明るい光を放っていたのだが、商店街の八百屋や魚屋、肉屋で売っていたようなものはどこに買いに行っているだろうか。そんなことを考えながら、これまたすっかり本数が少なくなってしまった神奈中のバスで帰路についた。