戸50 | 戸塚バスセンター~大坂上~吹上~原宿~ドリームランド~ドリームハイツ |
戸51 | 戸塚バスセンター~大坂上 |
戸52 | 戸塚バスセンター~大坂上~吹上~原宿~ドリームランド |
戸53 | 戸塚駅西口~戸塚高校~汲沢団地 |
戸54 | 戸塚駅西口~東原 |
戸55 | 戸塚駅西口~東原~中田~中田町 |
戸56 | 戸塚駅西口~東原~中田~立場 |
戸57 | 戸塚駅西口~バイパス経由~川上町~川上団地 |
戸58 | 戸塚バスセンター~東原~中田~立場 |
戸59 | 戸塚バスセンター~宝寿院前~通信隊前 |
戸60 | 戸塚バスセンター~宝寿院前~通信隊前~立場 |
戸61 | 戸塚バスセンター~大坂上~吹上~原宿~通信隊前~立場 |
戸62 | 戸塚バスセンター~東原~中田~立場~飯田~長後駅東口 |
戸63 | 戸塚バスセンター~東原~中田~立場~飯田~上飯田団地 |
戸64 | 戸塚バスセンター~東原~中田~立場~飯田~上飯田団地~いちょう団地 |
戸65 | 戸塚バスセンター~東原~中田~立場~飯田~いちょう団地 |
戸66 | 原宿→吹上→大坂上→戸塚バスセンター |
戸67 | 戸塚バスセンター~東原~中田~立場~飯田~上飯田~ひなた山バザール~下瀬谷 |
戸68 | 戸塚駅西口~東原~中田~立場~下和泉~下飯田 |
戸69 | 下飯田→下和泉→立場→急行→戸塚駅西口 |
戸70 | 戸塚駅西口~東原~中田~立場~下和泉~下飯田~湘南台駅西口 |
戸71 | 戸塚バスセンター~下郷~金井~金井高校前~田谷~大船駅西口 |
戸74 | 吹上→大坂上→戸塚バスセンター |
戸75 | 戸塚バスセンター~下郷~金井~金井高校前 |
戸76 | 戸塚バスセンター~宝寿院前~通信隊前~立場~飯田~長後駅西口 |
戸81 | 戸塚バスセンター~大坂上~吹上~原宿~影取~藤沢駅 |
横32 | 戸塚駅西口~バイパス経由~川上町~星川町~横浜駅西口 |
この地区のバス路線は1999年の地下鉄開業時に大きな改変が行われてしまったのだが、この一覧はそれよりもずいぶん前のものになる。今は結構歯抜け状態になってしまったが、当時は50~71までの番号は欠番なく使用されていた。以下は番号毎の補足説明です。
【戸51】は、朝ラッシュ時のみの運転だった。方向幕の行先表示は「大坂上」になっていたが、1回聞いたバス車内のアナウウンス(当時はカセットテープを使用していた)では「新道大坂上行き」と放送されていたので、実際には新道大坂上まで運転されていたのかも知れない。
【戸55】の終点、中田町は中田(今は中田小学校入口)バス停の先を左折した住宅地の中に折り返し所があった。ちなみに当時のバス停名と今のバス停名は、この中田の他にも違いがあって、「葛の口」→「中田」、「広町」→「中西」と変わっていった他、「アザリエ団地入口」は当時は存在していなかった。
【戸54】【戸59】【戸66】【戸74】は、朝ラッシュ時のみの運転で、このうち【戸66】と【戸74】は戸塚バスセンター行きのみの運転。【戸69】も朝ラッシュ時のみ運転で、急行バスは、戸塚周辺ではこの系統のみだった。1993年にnorimakiは一度乗車したことがあるのだが、立場を出ると次は戸塚一丁目まで無停車だった。戸塚一丁目バス停は現存していないが、今でいうと戸塚アンダーパスの入口付近に降車専用の停留所があり、戸塚駅に行くにはここが一番近かったため、ほとんどの乗客は戸塚一丁目で降りていた。
【戸61】は、方向幕には収録されていたものの運転している姿は見たことがない。一度、二軒家のバス停でこの系統時刻が掲出されているのを見たような気もするが、記憶が曖昧で確かなことは不明。今の【戸61】とはまったく関係ない区間の系統だった。
【戸67】は、戸塚バスセンターを発着する系統の中では最長のものだった。後にいちょう団地を経由するようになると【戸80】に番号が改められた(現在は廃止されてしまい残っていない)。
金井方面の系統は【戸71】【戸75】の2系統のみ。ヒルズ南戸塚を経由する【戸72】【戸73】【戸77】はこの数年後に開業した。
【戸76】は午前中1回、午後1回の1日2本のみ運転だったと思う。汲沢方面は、後の相鉄延伸に合わせて【戸78】いずみ中央駅行きが開業し、それからしばらしくして【戸76】は廃止になってしまった。そして1999年の地下鉄開業時に【戸59】と【戸78】が廃止になった結果、今残っているのは【戸60】のみという状況である。
【横32】は、西口発着の中では唯一「横(横浜駅)」表示の系統。運転本数は1日2~3本しかなかったように思う。norimakiは高校時代(1992年頃)に一度、友人と2人でこの系統に乗車したことがある(区間はソニー研究所→戸塚一丁目、だったように思う)。横浜新道上のバス停には、東戸塚行きの相鉄バスを待つ客の姿は結構多かったが、戸塚行きの乗客は我々以外には皆無だった。