和木町立和木中学校
「はだし運動」といえば一般的に小学校での実施例が多かったと思うのですが、山口県和木町立和木中学校では、中学校としては珍しい「はだし運動」が実践されていました。「はだし運動」を実施していた当時の状況について、文献等により調査しましたのでその結果を紹介したいと思います。
(基本情報)
和木中学校は、山口県和木町にある中学校で、JR和木駅から歩いて10分くらいの、町役場や体育館といった町の施設が集まっている一角にあります。学校周辺は、それらの施設のほかは閑静な住宅地が広がっているという感じで、norimakiが訪れたのは日曜日の昼時、ということもあってか人通りはまばらでした。ちなみに降り立った和木駅の周りにも、特に目立った商業施設のようなものはなく(スーパーマーケットが1軒ありましたが)、それらの施設は隣接する岩国駅や広島県の大竹駅に集積している印象でした(下記画像はnorimakiが現地を訪問した2022年11月20日撮影のものです)。
1.文献情報
前半は、各種文献から、はだし運動の状況を見ていきたいと思います。
まず紹介するのは、「初等教育資料(1993年12月号)」(文部科学省)です。この中に「たくしましい和木っ子の育成」と題して、以下の記載があります。
昭和四八年から、心身のたくましさを求めて、季節と子供の発達段階にあわせながら、幼・小・中学校で素足教育を継続している。
この記述の他、後に紹介する文献を合わせると、和木中学校でのはだし運動は1973年9月22日からスタートしたことが分かります。全国の多くの学校ではだし教育が開始されるのは、1980年前後以降ですので、和木中学校の取り組みは全国的に見てもかなり早い時期だったと思われます。
はだし運動開始1ヶ月後には、その様子が早くも新聞に紹介されています。それは読売新聞(1973年10月28日・山口版)で、「全校でハダシ運動 足裏は保護でなく鍛えるもの」と題し、以下のようなものです。
この記事によると、はだし運動は校医から提案があったものの、最終的には生徒の自主性で実践に移された、ということのようです。
次は、「昭和51年度和木町教育年報」(和木町教育委員会)です。この文献の和木中学校の項に、はだし運動に関するインタビュー記事が出ています。以下、当時の校長先生のコメントを抜粋します。
・(床みがきの写真によって説明)はだし生活を始めてみますと、はだしの生活に対応して素足で歩く教室や廊下をきれいにしていこうということから始まったものです。
・(はだしの生活の写真を見ながら説明)はだしは身体活動の出発点であります。夏の暑さに汗をかきながら靴下をはき、上ばきをはいての生活はどうだろうか、という声が出てきましたので、学校医の意見を求めた結果、父兄の理解と協力の下に、この活動を始めました。
さらに、「体力つくりモデル町・和木町 指定期間中における事業報告書 昭和51年4月1日~昭和54年
3月31日」(和木町教育委員会,1979年)です。この文献の和木中学校の項にもはだし運動の状況が記載されていますので、以下に引用します。
(3)裸足(はだし)運動の実施
古来から言われているように、足の裏は人間生活上の『ツボ』であって、足の裏に適当な刺激を与えることによって、血行をよくし、内分泌かつづを盛んにすることは多くの臨床的実施例が報告され、幾多の『足の裏』健康増進法が提唱されているのは、周知の通りである。
本校においては、このような実験結果を検討し、4月から11月までは、全校生徒全員、校舎内では、必ず裸足、戸外でもできるだけ裸足になるように指導し、冬期もつとめて、裸足でいるように推奨している。現状では、風邪にかかった生徒を除いては、冬期でも全員裸足で過すようになり、このことが生徒の健康維持、とくに精神的な強靭さの上に大きな成果を挙げているように考えられる。
総じて現代人が、土から浮き上がり、自然から遠ざかることが、ともすると身体的、精神的脆弱さの原因ともなりつつある。凍てつくような寒い朝の裸足は生徒にとっては、厳しい試練ではあるが、それに耐え、それを乗り切った時の心の逞しさ、健かさに大いに期待を寄せているのである。
表向きは夏季のみはだし生活、ということであったものの、実際のところは冬季も含め、一年中、全員が裸足で生活していたことが伺える内容です。
上記文献と同じ時期の読売新聞(山口版)にも、「はだしで心身を鍛える」というタイトルではだし運動の様子が紹介されています。
記事の内容は当時の在校生が書いた文章ですが、やはり当時は生徒全員が真冬を含めた一年中、裸足の学校生活を送っていたようです。
時代は少し下って、「教育広報(1981年6月号)」(山口県教育委員会)の記述も見てみます。ここには、以下のような記述があります。
(4)「裸足」と「労作」
(ア)裸足生活
春夏秋冬、校舎の内外を問わず裸足である。この裸足生活は八年前から続いている。
足裏の神経を刺激し、心も体も健やかになる。扁平足が少なくなる。耐える力、続ける力がつく。危険物を進んで除去する等、利点は多いが、とりわけ、裸足で三か年を過ごしたという自信と誇りは終生のものとなる。
そして、同書には「八年も続く裸足生活」という表題で、昇降口で裸足になっている生徒たちと思われる写真も出ているので、以下に掲載します(’画像はかなり不鮮明ですが)。
同じ時期の「教育と情報(1981年6月号)」(文部省)にも校長先生のコメントが以下の通り紹介されています。
本校の生徒は春夏秋冬、校舎の内外を問わず裸足ですごす。通路の自然土も裸足で踏む。通路の大地にじかに触れ、母なる大地の恩恵と偉大さに畏敬する。
土の上を裸足で歩くことで大地の偉大さに気づくかどうか、は微妙な感じもしますが、少なくとも当時の教育方針はそのようになっていたようです。
これらの記述を、先述の1979年の文献と比較すると、裸足の期間が通年に伸びていること、また屋内屋外問わず裸足になっているという点で、はだし運動の範囲がより広がっていることが分かります。
1994年4月9日付の防長新聞(下図)には「伝統の裸足入学式」と題して、和木中学校のはだし運動が大きく取り上げられています。この時期になるとはだし運動にも賛否両論があり、冬季は上履き着用が認められていたようですが、それでも入学式は全員が裸足で臨んでいたとのことです。
さらに時代は進んで「広報わき」1996年5月号からの抜粋です。この号には、和木中学校の入学式の風景が写真で紹介されていますが、新入生の足元を見ると、全員裸足であることが確認できます。
2.インターネット情報
後半はインターネットの掲示板等に投稿されたものから、はだし運動の状況を見ていきたいと思います。
まずは、爆サイ.com「和木町雑談がない」に、はだし運動の内容に関する詳しい投稿がありましたのでその内容を以下に引用します。
なお、和木中学校のホームページ中の沿革史からはだし運動に関する内容を書き出すと
1981年度03月26日 8mm映画「裸足と労作の和木中学校」制作
2004年度09月01日 「裸足運動」廃止
となります(「年度」の部分は「年」かも知れません)。
続いて、mixiの投稿にも、はだし運動の経験談に関する記載がありましたので以下に引用します。
コメントされている方に1984年度~86年度生まれの方もいるので、2000年前後までは裸足教育が続いていて、2005年頃には取りやめになっていたと考えられます(学校ウェブサイトの「2004年9月裸足運動廃止」と一致しています)。ただ、投稿にもあるように、この頃には夏場のみの裸足教育になっていた可能性も大きいです。
最後に紹介するのは、2004年9月6日発行の学校通信「自尊と敬虔」の一部ですが(2023年1月9日現在、インターネットアーカイブで閲覧できます)、これを見るとはだし運動開始の年月日、およびはだし運動廃止に至った経緯を確認することができます。
3.その他の記事
このページをご覧になられた方から、1993年頃の和木中学校の授業風景が紹介された文献を教えていただきました(下の画像です)。この画像を見ると、授業を受けている生徒の足元が裸足であることが確認できます。
4.お願い
和木中学校の裸足運動に関する情報をお持ちの方は、以下のフォームよりその内容を教えていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
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2022年11月21日公開 2023年5月22日更新